復興始まる。

総務省の職員が、被災地の県庁に国家公務員の身分のまま派遣されています。当面、緊急の措置ということなんでしょう。4月1日付で出向ということなのかしら。
「ミッションは、市町村役場の機能をいかに回復し、復旧・復興させるか、ということです。」
http://urakami.no-blog.jp/blog/2011/03/post_bb70.html

岩手県に派遣された方(課長補佐級)は、もともとブログをやっていらっしゃったのですが、大槌町陸前高田市の現状を報告してくれています。
大槌町 http://urakami.no-blog.jp/blog/2011/03/post_8e68.html
陸前高田市 http://urakami.no-blog.jp/blog/2011/03/post_29fc.html

「目を覆いたくなるような惨状に、胸が苦しくなりました。0か100か、という状況です。
津波を受けたところは、壊滅。受けていないところは、しっかりと残っています。
その激しいギャップは、今後のまちづくりにも大きく影響するかと思います。」
「自宅が残った方は、これまでの蓄えでなんとか生活してきたけれども、もう蓄えもなくなり、ガソリンもないので、買い足すことができず、避難所に来ているとのことです。ただ、避難所は自宅を失った方々が集まっているので、若干のフリクションがあるようです。」

そんな中、
「荷物を運んでいると、おばあさんが、さっと立ち上がり、ドアをあけてくれました。私が制服を着ているからではないと思います。みんながどことなく、思いやりを持っている気がしました。」
自衛隊がごっつい車にのって、給水にきました。若いお母さんが自分で焼いたクレープを運んでいました。小さい子供もお母さんのまねをして、クレープを避難所に運んでいきます。」という記述に、希望を感じます。

小さい単位の自治を、コミュニティの自治を、内側がどうつくり、同時に、後方がどう支援することができるのか。そのために役場は何ができるのか、県庁は何ができるのか、国は何ができるのでしょうか。
「(暖かい気持ちをみんなが持ち続けられる)ためには、生活するための十分な物資や支援がある又は期待できる、ということが大事かと思います。」
役割分担論ではない、本来の意味での補完性の原理を思い起こします。